障害年金社労士の独り言 ~ガン・サバイバーとして思うこと。その1
今日は私の独り言を書いてみます。果たしてこれが「お役立ち情報」なのか? というと微妙ですが・・・。思いつくままに書いてみます。
今回はタイトルにあえて「ガン・サバイバー」と入れました。タイトルのように、私自身がガンという病気を経験しています。私自身が感じていることを書くだけですので、ご不要な方は、あえて読む必要はないと思います。
頭では分かっていても実感のない「死」
ハッキリ言って、皆さん、ご自分がいつかは死ぬ、と頭では分かっていても、それがいったいいつなのか? ということは全然実感がない・・・という方が多いと思います。私自身も勿論そうでした。しかし、今はいくらか違うかな? と思います。
私自身は「死にたくない」と思っています。本音としては・・・。
いつかは死ぬ、と言いながら「そんな不吉な事は考えたくない」「縁起でもない話はよそう」と思い、若い頃から死ぬことを考えるのは避けてきました。
若い頃は、3ヶ月に1回くらいは風邪をひいていましたが、それ以外は大きな病気もせず、「健康」にはあまり関心もなかった。健康=当たり前だと思っていました。父や祖母は亡くなっていましたが、身近な家族であっても、どこか他人事だったんでしょう。
そんな私が「死ぬ」ということをまず意識したのは、平成18年でした。左足の付け根のところに大きなしこりが出来、しかし、しばらく放置していましたが一向に治らず、クリニックを受診したところ、大学病院を紹介された時です。悲観的に考えた私は「きっとよくないもんだろう」と落ち込みながら家に帰り、まだ2歳だった次男を思い、「今死んだら、次男はきっと俺のことをおぼえていないな」と思うと、さびしくなりました。その時は「忘れられる」ことがさびしいと思ったのです。
しかし、私の心配をよそに大学病院で検査を行ったところ、「まあ、悪いものじゃないでしょう」と言われ、ホッとして、またいつもの生活に戻りました。大きなしこりはそのままにして・・・。放置していました。
翌年、職場の上司の方が「いつまでも放っておくな」と言って下さり、しこりの摘出手術をしましたところ、一転してそのしこりは「悪性だ」という事になったのです。
そのため、前年に「悪いものじゃないでしょう」と言われた大学病院に逆戻りし、私は血液内科を受診しました。病名は分かりやすく言いますと(もっと専門的な病名もありますが)悪性リンパ腫でした。
ガンを突き付けられて
自分が悪性リンパ腫だと知ったのは、外科のお若い先生からでした。それも
「えっ、聞いていなかったんですか? リンパ腫ですよ」
と言われ、とっさの話で私は
「悪性ですか?」
と聞きました。そうしますと、リンパ腫は血液のがんで悪性しかない、と言われショックを受けました。
当時は、以前大学病院で言われた「悪いものじゃないでしょう」という話を信じていましたので、全く寝耳に水で、「そんな馬鹿な」という想いが強かったのです。
私はガッカリしながら家に帰りました。そして、家の裏でごぞごそと何やら仕事をしていた母親に向かって
「リンパ腫だって、言われたよ」
と言いました。しかし、うちの母は私と違い肝っ玉の据わった人ですので、
「まあ・・・なったものはしょうがねえな」
と言いました。その後、家内に話した時もそれほどのリアクションはなかったです。(家内の心情はよく分かりませんでしたが・・・。)
ガンを乗り越えようと
当初は「運が悪かった」などと思っていたガンですが、単に病気のことを恐れていてもしょうがない、と思い、病気に関する本を色々と読みました。そしてとある本屋さんで立ち読みしていた本の中に
「ガンは他でもない、自分自身で作りだしたものなんだ。自分で自分の事を殺そうとしたものなんだ」
というようなことが書かれてありました。それを読んだ時に、私は個人的に妙に納得がいったのです。(おそらく、多くのがん患者さんには納得のいかない話かと思いますが・・・。)
私は自分自身が嫌いでした。自分には何かが足りない。それを何とか克服しようと、色々ともがいてはいたものの、うまくいきませんでした。きっと間違った努力をしていたんだと思います。(その努力の一つに社労士試験を受ける、というものがありました。)
間違った努力をして、ただ自分自身を痛めつけていたのではないか? 実際のところ、夜遅く自宅に帰り、それから社労士試験の勉強をして夜中の3時頃に寝て、朝7時過ぎに仕事に行く・・・。そんな生活もしていました。
そう思ったら、自分が何故ガンになったのか? 妙に納得がいったのです。(あくまでも個人の意見ですので・・・。)
入院しないぞ
その後も私は自分の病気の勉強をしていました。本とインターネット、それくらいでしたが・・・。しかし、インターネットを見ますと、悲観的なものが多く、気が滅入りました。国立がんセンターのホームページを見ても
「治癒の難しい病気」
と書かれていました。生存率のグラフを見ても、ずっと右肩下がりでした。そんなものを見ていましたら、
病院で治らないなら、自分で治すしかない
と、短絡的に考えました。代替療法と言われるようなもので、なんとか健康を取り戻す。そんなことを考えました。
しかし入院
でしたが、主治医先生のお話を聞き、私は結局17日間入院し、治療を受けました。私の先生は小柄な女性でした。明るくて、前向きな先生で、ご自分の保身ではなく、あくまでも私のことを考えて、治療を勧めてくれる先生でした。私はその先生の話を素直に信用して、入院したのです。
R-CHOP療法という抗癌剤治療を3クール(3回)。そしてその後放射線治療12回程受け、職場に復帰しました。結局3カ月休職しまして、その間は「転んでもただでは起きないぞ」と思い、体質改善(単なる自己満足かもしれませんが・・・。でも、おかげさまで現在はほとんど風邪はひかなくなりました。)に励みました。
そして現在に続く・・・。というほど、簡単な話ではありませんでしたが・・・。とりあえず、私の身の上話は次回に続けてみます。全く役に立たない話で、何を意図して書いているのか? 私自身も分かり切っていませんが・・・。
お付き合いくださいまして、ありがとうございました。(社会保険労務士 海老澤亮)